■共感させる文章なら、納得させる必要はない



過日、個人アカウントのFacebookに以下の投稿をしました。



女優やアイドルといった美女と結婚した夫が不倫するたび、必ず出てくる言説が、『どうしてあんな美人と結婚したのに不倫するのかな?』です。実はこれは逆で。美人と結婚したから不倫するんですよ。

「こんないい女と結婚できた ⇒ 実は俺、スゲーいい男なんじゃね ⇒ なら、もっと女を口説けるはず ⇒ 人生一度きり、やらなきゃ損損 ⇒ 不倫」というふうに。世間から、「お前にはもったいない」と思われるような女と結婚した男は、増長して、ほかの女にも手を出すんです。


 

この投稿には、いつもの3倍近く「いいね!」がつき、「絶対そうですね」「その通りです」といった共感コメントが男性からも寄せられました。また、同内容をTwitterにも載せたところ、「共感した」といった返信リプをいくつかいただく一方、「根拠が乏しい」といった批判リプもありました。

批判リプはちょっと間違っています。すべて私の推測・主観に基づいて書いているため、根拠が乏しいどころか、何一つありません。キリッ

Facebookに投稿した私の言説は、“共感”する人に受けて書いています。共感が得られれば、今回のように強い同意が得られるため、根拠など必要なくなるのです。

ここに大切な真理が一つあります。
「共感があれば、納得させる必要はない」です。これを逆説的に言えば、「納得は、共感しない人のためにある」になります。

Twitterで「根拠が乏しい」と批判リプしてきた人の、真の意味は「共感できない。だから納得するだけの根拠を用意しろ」なのです。



例を変えてみましょう。

たとえば、女性向けに「女性が恋愛対象とするのは、尊敬できる男性ですよね」と書いた場合、多くの共感を得ると思います。その場合、統計データや科学的根拠を載せる必要はありません。載せるだけ無駄です。

これがもし、男性向け(特に非モテ)であれば、統計データや科学的根拠を用意する必要があります。「なんで尊敬が必要なのか」といった疑問や不信を抱くからです。つまり、共感していないわけです。

このように、「共感する人」と「共感しない人」では、納得の必要性が変わってくるのです。


もう一つ大切な真理をお伝えします。
それは、「共感>納得」です。あなたは、「共感した読者」と「納得した読者」、どちらのほうが筆者を信用していると思いますか? 私は前者だと思っています。←この言説も共感狙いなので、説得材料は用意しません。

私は「共感」を軸に文章を書きたいと思っています。感覚的な表現をすれば、読んでいる人が「分かる、分かる!」と思ってくれる文章です。

先述したように、根拠を用意して納得させるよりも、共感を得るほうが上位の文章だと考えているからです。また、ビジネスの観点から見ても収益に寄与します(CVRも高くなる・拡散される率も高い)。

すべての文章が共感を軸にできるわけではありませんが、対象者や状況に応じてバランスを調節できるようになりたいと願っています。それが書き手の腕の見せどころだと思うのです。



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