■「書写」が文章力を向上させる本当の理由



私はWEBサイトとブログを複数運営しています。実はそれぞれ文体が違います。たとえば、本サイトはコンサルタントとしてふさわしい文体に。プライベート用のブログでは、もっと砕けた文体に。「書く場」に応じて文体を変えています。

便宜上、「文体を変える」と書きましたが、的を射た表現ではありません。「人格を変える」と表現するほうが適切です。私は、私の中に幾人もの人格が宿っており、「書く場」に応じて人格を変えているのです。人格が変われば、必然的に思考の仕方や文体、表現までも変わってきます。この「多重の人格を抱えて切り替える」という感覚を、説得力のある言葉で説明できなかったため、今まで表に出さずにいました。

先日、一冊の書籍『人は、「誰もが多重人格」』(著者 田坂 広志 氏)に出合いました。そこには、「我が意を得たり」と叫びたくなるほど、私の感覚が的確に表現されていたのです。一部引用します。

 

例えば、何かの理由で、ある人物がリーダーの立場に置かれ、周囲からも期待される「リーダー像」を、気持ちを込めて演じていると、その人物は、自然に「リーダーらしく」なってくるのであり、いつか、それが「本物の人格」のようになってくるのです。(中略)
我々は、「様々な人格」を育てることができるのであり、我々の中には、可能性として、「すべての人格」が隠れているのです。(第三話 「隠れた人格と才能」を開花させる技法より)

 

私が“いくつもの人格”を手に入れられたのは、「演じる」をしていたからです。文章で言う「演じる」とは「書写」です。私は4名の作家の書籍を書写してきました。ただ、書写を推奨する人の中には、新聞コラムの天声人語が良いとする人もいれば、文豪の名文が良いとする人もいます。しかし、作者がコロコロと変わる新聞コラムなどは、「人格を育てる」という視座から見て適切とは言えません。「この人のような文章が書きたい!」と思った作家の書籍だけに集中して書写したほうが人格は育ちます。そして、気に入った作家の書籍を何冊も書写し続けると人格までも宿り始めるのです。自然と、その作家の思考や文体で書けるようになります。私はこれを「憑依」と呼んでいます。

書写は、その作家が憑依したと感じるまで書写し続けるのがコツです。ここまで来れば、「今回はこの人の人格で書こう」といった具合に、人格を切り替えて書けるようになります。

私ならではの書写術、参考になれば幸いです。




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