■「権威」の影響力を武器にする



私はある文化人(以下A氏)のSNSに所属しています。
A氏は、数々の理論を提唱し、書籍も10冊以上出版しています。ユニークな人柄もあり、多くのファンがいました。しかし、ある不祥事をきっかけに信用が失墜しました。SNSに所属していた人の中からは、「A氏のコンテンツはもう読めない。理論も信用できない」という人まで現われたほどです。

私はA氏の文章から滲み出る、表向きの人柄とは裏腹の、腹黒い人間性を以前から感じ取っていました。しかし、提唱する理論は有益なものも多く、近くで吸収することをあえて選んだのです。
私は、A氏の理論を鵜呑みにするのではなく、よく吟味して、有益な理論だけを自身のものにするように努めてきました。そのため、不祥事を起こした後でも、私が認めた理論の評価は下がっていません。反対に、A氏を信用して、すべての理論を鵜呑みにしていた人は、何を信じていいか分からなくなり、すべての理論が信じられなくなったのです。

「人を信じる」という行為は、安易にしてはいけません。「信じていたのに裏切られた」と言う人もいますが、それは違います。信じるに甘んじただけです。疑う、考えることの放棄を、人は「信じる」と言います。

たとえそれが、自分よりも「実績」「肩書き」「国家資格」と言った、「権威」のある相手でも同じです。
「自分の頭で考える」「自分の頭で咀嚼する」ことができない人は、権威の力に屈します。「偉い人が言っているんだから、正しいに違いない。信じよう」となります。一見、素直な人のように見えますが、そうではありません。「素直」と「信じる」は、似ているようで根本的に違うのです。

素直とは「行動」です。
教えられたことを行動に移すかどうかです。「信じていないけど、やってみた」をできる人が、考える力を持った素直な人です。ただし、これができる人は、1%もいません。99%は、「信じているから、やってみる」「信じられないから、やらない」の二択になります。良いか悪いかではなく、大衆はそのようになっているという事実を知ることが大切です。

人は、「何を言ったのか」なんて見ているようで、見ていません。「誰が言ったのか」を見ているのです。理論も芸術も、内容や作品を見ているのではなく、提唱者や作者の権威を見ているのです。「作者が誰なのか」が本当の評価軸です。ここをよく肝に銘じておいてください。

誤解してほしくないのは、私は決して、1%の「信じていないけど、やってみた」の人になろうよ、と言いたいのではありません。99%の人を動かすためには、「権威」の力を利用する側に回ろうよ、と言っているのです。

結果的に、「権威」の力を巧みに利用する人は、「権威」に屈しなくなります。その手は、自分も使っているため、引っかからないのです。
つまり、「権威」を活用できる人は、おのずと、「権威」に目が曇らず、咀嚼して考えることができるようになるのです。
騙されないためには、騙す術を知ることです。思考停止しないためには、思考停止させる術を知ることなのです。

大多数の人間は、物事の本質を見ることができません。見えるように啓蒙しても意味はありません。そうではなく、それ自体を利用する側に回ればいいのです。後は、利用する側が、盲者たちを正しき道へ導けば、それでいいのです。



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